ある日の新聞紙上のなかで、ライブドア・京大生の集団強姦・長崎県警の銃口を向けての取調べ・耐震偽装・無人ヘリ不正輸出など、その中で目を引いたのが、「お父さん、やっと合えたね」フィリピン・レイテ島 県訪問団(慰霊碑に平和を誓う)の記事です。
浜松市の67歳の方 父が命を失ったレイテ島で、涙が止まらなかった。3歳9ヶ月で止まったままの父の記憶。
第2次世界大戦で激戦地となったフィリピン。日本軍兵士の4分の1に当たる50万人が命を落とした。
父親の所属する部隊がレイテ島のブラウン飛行場に何度も夜襲をかけたこと、最後の集結地のカンギポット山に父の姿がなかったことを帰国した戦友から聞かされた。「夜襲の中で命を落としたか、餓死したのか。いずれにしても大変な最期」。
慰霊碑の建設場所を提供した現地に住む仲村さん(74歳)は、戦後間もなくフィリピン人と結婚して移り住んだ。フィリピン人の犠牲者も100万人といわれ、反日感情も強かったという。
身を守るために天井裏の生活を余儀なくされ、日本人と言えずに中国人と言っていたことなど、その状況を語る。
「私たちが体験した戦争の悲しさ、つらさを子孫が味わうことがないように語り継ぎ、平和を守っていきたい。
さまざまなニュースの中で、私の目に止まりました。